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再生企業と生残り企業の真の役割

 政府肝いりで「産業再生機構」が活動を開始した。またそれと共に中小企業を対象にした「中小企業再生支援協議会」も今年2月から動き始めた。これによって復活しよみがえる企業も出て来ることになる。建設関係でも具体的な例が出ている。どの企業を救うべきかの議論は筆者の能力の外にあって論ずる気はさらさら無い。しかし再生される企業は、古くは会社更生法に始まり、現在の民事再生法摘要企業などこれからも増えるばかりであろう。そこまで行かなくても大手の建設企業で銀行などから債権放棄を受けた建設会社も多い。これらの企業に対する処置が正しいかどうかも筆者再生企の手におえない事柄である。

 しかし、これらの企業に共通して言えることは、いろいろな形であっても全て債権者の犠牲の上に成り立っていることである。その債権者は私企業であったり銀行であったり、場合によっては個人のこともある。銀行の場合はその銀行に税金が注入されていることもあり、間接的には国民の税金であるともいえる。取引先等の債権者は不良債権として損失勘定にして税金を減額するから、これまた税金の減収につながり国民の負担になる。

 また株主は直接的に被害をこうむるが、これは自己責任の範囲でやむをえない。しかし一般の国民は何の責任もないし、預かり知らぬことなのに最近は、かなり安易に税金が使われるような気がする。この問題は専門外の筆者が騒がなくても多くの方が論じているのでこれ以上触れない。

 もう一つの問題は、建設市場における公正な競争条件に関わることである。最近色々な方と話をすると仕事が少ないという愚痴になる事が多い。大手建設会社の受注がピーク時の半分以下になっている位だから当然の声であろう。そのような競争激化の時期に、一方で合併や吸収によって業者数を減らす努力がなされているのに、優勝劣敗の市場原理に敗れた企業を救う必要があるのかという声は尤もな部分がある。しかも財務諸表がすっかりお化粧直しされて再登場してくるのだからたまらないというのである。当然そのような再生企業の売上は減少し、それに伴ってリストラで身軽にはなっているであろうが、相対的には市場で必死に戦いつづけている企業と比較すると発注者側の採点は甘いといえる。この条件で競争させられるのは公平感にかけるというのである。しかし、再生企業を助けたのは発注者ではなくその企業の関係者なのであるから、発注者に再生企業に対しハンディキャップをつけろというのも筋が通らない。発注者には、再生企業の評価を正しくしてほしいというくらいがせいぜいであろう。再生企業の多くは激しいリストラを敢行しており、場合によってはその会社のこれまで強みになっていた部門の力が失われている可能性もあり、過去の実績どおりに評価できないことは考えられる。その辺は発注者に技術者の実態を把握してもらうようにお願いするとか、下請け関連企業の協力の実態を把握するとかを強くお願いするしかない。それ以上は、何らの支援も受けずに頑張っている企業はその持てる強みを遺憾なく発揮して再生企業と真正面から競争するしかないのではないか。

 そしてその上で、再生企業に言いたいのである。再生企業の全ては社会的役割を担えると期待されて多くの人々や、税金のことを考えれば国民の全ての期待を担って支援されたのである。少なくとも、そういう自覚の元にこれからの企業活動を進めていかなければならない。私企業であっても社会の公器としての企業の存続を認められたと考えなければならない。これからは、社会的な使命を立派に果たすとともに、国民に借りた税金を返さなくてはならない。債権者に返すのは当然であるが、それと同時にしっかりと収益を上げて、きちんと納税することを考えていただきたいのである。それが債権者に応える道であり納税者たる国民に恩返しする道である。

 また頑張っている企業も再生企業に負けることなくしっかり収益を上げて納税することが、建設産業全体が国民に信頼される基本であると考える。そのためには自己破滅的なダンピングに走らず正々堂々と適正価格で良い仕事をやり、納税者の付託に応える。それが建設産業再生の本筋であろう。