建設産業と消費者の距離 どんな産業にも消費者は存在する。医療産業という言い方が適切かどうかは分らないが病院の消費者は患者さんである。昔はそういった関係ではなく患者は医者に診て頂くという関係であった。しかし今では患者は何々様と呼ぶのが常識となっている。それでも、基本的な医療に対する倫理を欠いた行動をする医師が後をたたず、医療訴訟が増えている。 公僕と呼ばれる公務員の消費者は国民であることは今では常識であろう。しかし、この分野でも昔から公僕という言葉があるにもかかわらず、消費者たる国民不在の行いが後を絶たない。外務省から、厚生労働省、果ては警察まで、公金横領の犯罪行為がまかり通っている。医者のほうは個人が罰せられるから最近多くなった訴訟でお医者様の世界も変わりつつあるというが。 これらのケースを取り上げたのは、医療と患者の関係で、問題となっているのが、高度の専門性と医療関係者の身内意識で閉鎖性が高いことが建設産業にも言える点があることである。また、公務員のほうは、チェック機能がやはり仲間の公務員に任されていて、あまり機能しない点が挙げらるが、建設産業でもチェック機能が効率的に機能しない。それだけ産業と消費者が遠い関係にあるといえる。建設産業のチェック機能といえば公共工事の場合は発注者による完成検査と会計検査院による会計検査であり、民間の場合は自治体の検査であるが、何れもポイントでの検査であり全工程での検査ではない。いずれにしても、BSE対策の牛のような全頭検査には程遠い。それでも、国土交通省は工事成績の結果を出来るだけ経営審査に反映するようになっているが、地方自治体の中には発注担当者に技術者がいない自治体もあり、工事成績を正確に評価する能力に欠けるところもある。民間の工事の場合は発注者に技術能力が全く無いケースが大半で大抵は設計者に監理を委託する。しかし、設計上問題がある場合設計者と監理者が同じではこれまたチェック機能が働かない。このような様々な理由で建設物の最終使用者と建設産業との距離が遠いと思われるのであるが、このことが建設産業に微妙に、なんとなく信頼を一般の国民が寄せられない原因になっている。もっと、一般の人が声を上げられるようにし、その声が産業界に届くようにしなければならない。 六本木ヒルズの回転ドアによる死亡事故でビルオーナーは大変な非難にさらされているが、それはそれとして、数多くの回転ドアの絡んだ事故が各地で発生していたのに根本的な対策が死亡事故がおきるまでとられなかったことはどうしてなのだろうか。一般消費財ならとっくに販売禁止や不買運動になっていたはずである。それは施設のオーナーと実際の利用者が異なっているからであろう。この問題にかかわった技術者は技術者倫理で言う公衆の安全を最優先にしなかったという注意義務違反に問われることは言うまでもないが、小さな事故に巻き込まれた人々が声をもっとあげる方法があればよかったと思う。その意味では重大事故になるまで報道しないマスコミにも責任があるであろう。 さて、本題に戻ろう。建設産業と一般の消費者の距離が遠いというのがこの稿の本題である。談合や、贈収賄で罰せられた業者がそれが直接の原因で倒産したという例が少ない。手抜き工事にしてもそうである。しかし,あたらしい消費者の声を届ける方法が現れ急速に拡大している。それが社会的責任投資というファンドである。 もうご存知の方もあると思うが、これは企業の社会的責任に目をつけこの点に誠実に取り組む企業とそうでない企業に分けて、社会的責任である法令遵守や環境、文化といったものから、人権、地域社会に対する貢献などこれまでの高利益、や成長性ばかりでなく幅広い視野で企業を見直していくものである。不祥事を起こすような企業は当然排除され、そして排除されることが公表される。この社会的責任投資ファンドの出現によって,企業の選別が進み消費者の消費行動以外のもう一つの表現運動として定着していけば,消費者と産業界の関係は大きく変わっていく可能性がある。 SRI(社会的責任投資)ファンドに登録される企業は,資金が安定して集まるばかりでなく社会的責任に感度の高い人材を集めることが出来結果として優秀な人材を確保することが出来る。当然このファンドを買った消費者は登録された会社の製品を購入するであろう。場合によっては口コミで宣伝してくれる。それに反して社会的責任に鈍感な不祥事を起こすような企業はこのような行動を始めた消費者から様々な形で強い批判を浴びることになる。 この新しいパワーが,産業と消費者の距離が遠いといわれる建設産業のあり方をも変えずにはおかないであろう。これまで不祥事に比較的鈍感であった建設産業もこの新しいパワーの出現によって不祥事に、より敏感になりコンプライアンスに強い関心を持ち始めるであろう。その動きはもう一部の建設関係企業でも始まっている。一日も早く産業全体の動きとして取り組んでいただきたいものである。 |