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振り子はどこで止まるか(公共工事品確法の成立に寄せて)

 公共工事品質確保法が4月に成立した。この法律は、それを読む立場の人によって様々に読める。ある人は塗炭の苦しみにある建設業界を救ってくれる“救世主”か“白馬の騎士”が現れたか,と読み込むであろうし、ある人は発注者としての重い責任を改めて感じている人もいるであろう。また、さめた人はどうせお役人の作文で、何も変わらないであろうと諦めている人もいるかもしれない。

 一般国民の多くは、さては、いよいよ鉄のトライアングル(欧米のマスコミでもこの様に捉えている)といわれる政官業の癒着の団結が巻き返しに出てきたか、と疑いの目で見ている可能性が高い。これらの様々な見方の多くは正しいとも言えるし、大きな誤解であるとも言える。

 それは、この法律が理念法であり、強制力を持たない法律であるからである。この法律が作られる背景になにがあったかは、これまた様々な見方があるが、その一つの大きな要素は、この法律の名前が示すとおり、公共工事の品質にいろいろな不安要素が出てきたためであることは間違いない。

 その不安の原因が、入札制度の改革といわれる最近の動きで、過当競争によるダンピングと思われる入札が急増している点にある。言うなれば、長年悪弊とされてきた談合(談合はいまや国際語になっている)撲滅の為の一般競争入札への急激な転換がある。談合を一方の極とすれば、ダンピングというもう一方の極に振り子が振れたのである。そして行き過ぎた振り子を元に戻すムーブメントが今回の公共工事品確法であるという見方である。

 その他、少子高齢化の進展に伴う技能者の枯渇の問題も要素の一つではあろうが、メインのものではない。やはり、一番の要素は、財政の逼迫による公共工事の縮減とコスト削減圧力による価格の下落にダンピングが拍車を掛け、建設業界が悲鳴をあげていることが本当の背景であろう。

 さて、原因探しのような議論はこのぐらいにして、折角成立した法律を国民生活に役立つものにしていかなければ、この法律成立の意味がないというものである。先ほども述べたようにこの法律は立場によって様々に読めるが、ここは国民の立場にたって読む必要があることは言うまでもない。

 現在国民の多くは、長年のマスコミの報道によって、(多くは正しい報道であるが一部誤解の面もある)建設業界を不信の目で見ている。建設業界だけでなく発注者も信じていないし、発注者を動かす政治家をもっとも信用していない。法律の趣旨は理念法であるから何も問題のあることを言っている訳ではないが、値段、価格のみではなく品質の確保が重要であると、いまさら言い出したことにまずもって不信感が募るのである。

 安かろう悪かろうではいけないことは国民にもわかっているし、そんなことは言うまでもないことと感じているからである。この法律が出てきたことで、また、発注者の恣意的な行動の根拠になるのではないかと疑っているのである。

 筆者としても早い段階から入札制度は総合評価方式がベストで、その為には発注者が毅然とした姿勢で発注者責任を果たすべきといってきたから、この法律に異論は全く無い。しかし「李下に冠を正さず」の諺のように、相変わらず名目はともかく実質的に天下りを受け入れている限り、国民の猜疑心は納まらない。発注者の恣意的な行動が復活する恐れを抱くのは当然である。

 この法律の精神を生かし実効あらしめるためには、どうしてもやらなければならない条件がある。それが公務員の65歳定年制であり、それによって肩たたきを無くすことである。これを実現しない限り、いかに多くの心有る発注者の人々が事務官であろうと技官であろうと、公正無私に国民や業界のためにいい仕事をしようとしても疑いの目から逃れることは出来ない。このことは、業界にとっても、ひいては国民にとっても全く不幸なことである。

 一方、国家公務員の定員削減の声の高まる中で65歳定年制を実現することは国民の期待と異なるかもしれないが、公共工事を真に国民の為になるものに変えていくためには、計画、調査、設計、監督、検査など公務員の活用の道は山ほどある。それこそ品質の確保の為にはそれなりの手間は掛かるのである。

 発注者の責任を問うなら、相応の体制が必要であり、これまでのように何でも外部委託していくのではなく必要な部分はインハウス化していかなければ責任をもてないということも考えなくてはならない。発注者責任を果たすサポートの為の第三者機関を作るという案も悪くは無いが、発注者責任を問うなら屋上屋の組織ではなく発注者自身が責任を持てる体制が本来であろう。

 また、建設業界側も、この法律を白馬の騎士と見るだけでなく法の精神を正しく理解し、その方向に添えるように懸命の努力を覚悟しなくてはならない。これまでの競争はともすれば身軽な経営を目指し必要な部分まで身を削るリストラを行なってきたが、今こそ正真正銘、技術と経営に優れ、社会的責任を果たす会社を目指す必要がある。

 この公共工事品確法が、建設産業の復活のきっかけになることを心から期待するものである。そして振り子はやがて真ん中で止まるべきものなのである。