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セイフティーネットについて考える

 小泉内閣の構造改革に伴って痛みを我慢しなければならない業界のトップに建設業界があることは否定し様もない。公共工事の役割はもう終わったといわんばかりの議論が大手を振って歩き回ってもいる。これらの議論の正否はここでは敢えて論じない。我々の立場は飽くまでも国民の為に何が正しいかを論じていきたいと考えているが、テーマとしてはあまりに大きくこの場の議論には馴染まない。さて、痛みの問題であるが、誰も痛みを引き受けるのを好む人はいない。出来るだけ痛みは少ないほうが良いのは当然である。小泉内閣では、その対策としてセイフティーネットを設けるという。セイフティーネットといえば我々には馴染みの言葉であるだけに、より具体的な方策を提示してもらいたいが、どうも対策としては雇用保険の延長程度のことを考えているらしい。業種転換の為の職業訓練もやるとは言うがセイフティーネットの役割である安心感の醸成には十分ではない。我々の馴染みのセイフティーネットのほうがより具体的な目に見える安心感を与えてくれる。というのも職業訓練と再就職の関係がはっきりしていないし、新しい産業に適性がない場合もありうる。そういう意味でもその他のセイフティーネットを用意する必要がある。ではどんなセイフティーネットが考えられるであろうか。これまで建設産業に携わってきたきた人にとって、構造改革の波に飲み込まれる事はある程度覚悟していても、これまで身に付けてきた技術やノウハウを生かしたいという気持ちは当然あるであろう。建設産業の縮小していく中で、その気持ちが我儘であるという意識もあるが、それは切実なものである。もし仮に建設業界の中で会社が倒産や廃業してもそれらの会社に関係する人々が全て建設業界に不要な人ではない。しかし現実には、縮小していく建設産業に再就職する事は非常に難しい。結局十把一絡げで路頭に迷うか、他産業に待遇を落として再就職を試みるしかない。これがグローバリゼーションの中のデフレ経済の現実だと言われればそれまでであるが、それでは国民経済の観点からいっても不経済以外の何ものでもない。出来るだけ多くの人が、特に優秀な人が業界に戻れるようなセイフティーネットの張り方はないのであろうか。もしその様なネットの張り方がしてあれば、働く人の安心感と常日頃の心がけのありようは大きく変わってくるものと思われる、残念ながら現在のハローワークは事故がおきてから即ち失職してから動き出すシステムであり安心感の醸成には無効である。では民間の人材バンクはというと、これは転職前提での斡旋業務でありセイフティーネットとは全く意味合いが違う。勿論人材バンクの斡旋による雇用の流動化がもっと当たり前になれば失職をこれまでのように極端に恐れる事はないのかもしれないが、日本社会はそこまで変化していない。したがって、結論としては、ハローワークと人材バンクの中間的なものが必要なのである。言い換えれば、いざという時は自分の事を理解してくれている人、例えば恩師とか、先輩、友人がいたらとても心強いように、何らかの機関か、もしくは組織があればどんなに安心できる事か。具体的な組織の在り方はまだまだ研究の余地があるが、例えば人材登録センター(仮称)のようなもので、過去の実績を中心にデータベースを作っておく。人材が必要な人はいつでも必要な人材の有無を検索できるようにするとか、色々な方法が考えられる。我々も具体化に向けて研究すべき課題と考えている。今、消費不況といわれる中で雇用不安が益々増大している。その不安が又消費を押し下げる。まさにデフレスパイラルである。一日も早い新たなセイフティーネットの構築が待たれる。その実現こそ、現在のデフレスパイラルを断ち切る数少ない処方箋の一つではないだろうか。