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特命工事は是か非か

 ある中堅の建設会社のオーナーに話しを聞く機会があって、現在の悩みを聞いた。その社長とは以前からの知り合いで、時々お目にかかっていて、いつも業界の状況を率直に話して頂いている。最近は決まってダンピングの話しが多かったのだが、今回は特命の客先が少なくなり、やたらと競争が多くなった。その事はある程度止むを得ないと思うが、困ったのは無差別に近い指名の仕方や参加者の数の多さであるという。建設業の看板を上げている以上参加を見送るわけにもいかず、極力参加させてはいるが積算費用が馬鹿にならない。何とかならないかという話しであった。よくよく考えてみると例えば20社も指名されて、指名参加企業が全員真剣な見積もりをしたら、その工事費の10%近い見積もり費用が業界全体では掛かってしまう。その工事のコストには受注した会社の見積もり費用0,5%弱が入るだけであるが業界全体としては10%近い見積
もり費用を負担しなくてはならない。各社の積算部門は受注の要であり工事の入り口部分の、いや会社の生命線といっても良い部門である。人手がかかり合理化の一番難しい部分である。
この対策を考える前に、何故このような状況になったか考えてみたい。それは言わずもがな、工事が少なくなっている事が第一である。また今後はもっと減るであろうとみんなが考えているからである。第二に業者が多すぎることである。この十年消えた企業も多いがそれ以上に生まれた企業が多く結果として業者の数が増えてしまっている。仕事が減る中で企業が増えれば競争が激しくなる事は当然でありこれも当たり前である。どの産業でも優勝劣敗はつき物で競争のみがよりよい社会を作る。効率の良い社会が出来ると信じられている。所謂市場経済万能主義である。これが第三の原因であるが、もっとも大きな要素であると思う。世の中全部の人が競争のみが正義であり競争のないところに正義はないと考え始めたから、どんなものでも市場の競争にゆだねるのが正しいと思っているのである。筆者も基本的にこのことに反対しているわけではない。切磋琢磨してよいものを作り上げる努力は正しいし否定できないと思う。しかしそのやり方は、仕事の中身でいろいろ異なるはずである。例えば医者の診療に値段競争は馴染まないし、芸術家の仕事も入札には馴染まない。 では本題の建設工事はどうであろうか。先ず歴史的に考えてみると、競争入札が行われ始めたのは比較的最近で、一般の住宅や商店などは地元の棟梁があらかたの値段決めで請け負ってやっていた時代が長い。言うなれば特命である。しかし、特命だからといって全く競争がないわけではない。近所の評判という競争が厳然とあって、怠け者や飲んだくれは棟梁にはなれなかった。名医が口コミの評判で成立するのと同じである。この評判が信用であり職人の誇りであった。一見ルーズなように見えて厳しい競争もあったのである。しかし競争一辺倒の現代、評判や信頼だけでは世間が許さないという強い空気が流れ出して、これまで信頼ベースで特命でやっていたお客が競争至上主義の空気に抗いきれないというのが実態であろう。建設業者のほうも、特命を強くお願いできない雰囲気があって、自信を持って立場や特命の良さを説明できない。イギリスでは一般競争入札から指名競争入札に変えしかも最低札が落札するとは限らないように変えられている。建設工事の競争では価格競争だけでは安くて良いものが出来ない事を経験で悟ったのである。では一方の側にある特命工事は万全かといえば、当然のことながら、馴れ合い、もたれあいの甘さが生じる可能性危険性はある。信頼ベースだけでは通らない世の中である。
この辺の利点と欠点を良く吟味し、より良い解決の方法はないのであろうか。表題の特命工事は是か非かであるが、特命工事の持つ欠点を解決できれば本来信頼を基礎としなければ成り立たない請負や設計という仕事は特命かもしくは数社の見積もり合わせでよいはずである。玉石混交で数だけ揃えた競争でよい結果は期待できない。ではどうしたら特命工事の持つ第三者から見た不透明な感じや、合理性に対する不安を解消できるであろうか。それは、かなりの信頼性のある第三者機関のお墨付きがあれば、発注者も、受注者も安心して信頼ベースで契約する事が出来る。勿論そんな公的機関はないが、可能性のある組織がないでもない。非営利でしかも第三者性、中立性を標榜している
NPO法人である。手前味噌になるが、我々建設環境情報センターでは基本的に建設行為の合理的実践を目指しており、厳正な判断をする事で存在価値を世に訴えていこうと考えている。そのための建設倫理の実践を提唱している。この建設倫理の実行人として建設環境コーディネーターを育て、発注者と建設業の間に立って両者の関係を信頼ベースに立ち戻れる様に手助けをしたいのである。これで本当に価値ある建設物を作る事に少しでも貢献出来れば幸いである。