技術者倫理から見た建設経営(倫理力を高める経営へ)
技術者倫理教育が提唱されてかなりの年月が経つが、ここにきて、建設関連の教育機関でも技術者倫理を教育項目に取り入れるところが増えてきている。筆者が依頼されている大学だけでも二つの大学が技術者倫理の講座を設けている。その他ずばり建設倫理という講座を設けている大学もあり、倫理はいまや教育機関には欠かせないものになりつつある。
このような傾向はかねてから言われている国際化に備えて、国際的にも通用する技術者を育てなければならないという必要に迫られているからであろう。この具体的背景としては、日本技術者教育認定機構の発足がある。1999年に設立され既に4年が経過したが、日本技術者教育認定機構の認定を受ける大学は増えつづけているという。この間建築、土木両学会の倫理綱領が制定されたり改定されたり、技術者倫理に関する一連の動きはどんどん加速されている。
一方、建設業界の倫理的状況はどうであろうか。岐阜の耐震補強工事の手抜き工事をはじめ、都市基盤整備公団の分譲マンションの手抜きや疎漏工事による建替え、修繕工事の問題など、建設産業の倫理的状況は一向に改善される気配はない。その他技術者倫理だけの問題ではないが談合やダンピングのうわさは相変わらずである。このような状況が続くとしたら、両学会の倫理綱領や大学などの教育機関での努力は全く無意味であるという意見も出てこよう。そもそも、両学会の倫理綱領にしても、大学における技術者倫理教育の加速にしても、産業界からの熱烈な要請に基づいて出てきたものではないようである。産業界の本音は相変わらず優秀な働き蜂、イエスマンを求めており、技術者倫理の考え方をしっかり身につけた学生を心のそこから求めているとは思えない。技術者倫理を教える立場からすると、このような企業側の態度が変わらなければ、教えた学生は極論すれば教わったことに疑問や戸惑いを感じ、やがては忘れていくしかないと思うようになるのではないかと心配になる。それは、技術者倫理の基本が技術者の個人の判断に基礎を起き、個人として自立できることを目指しているからである。はっきり言えば、技術者倫理は個人としての技術者の倫理観を優先し、組織の論理を時と場合によっては無視することを要請している。勿論雇用者やクライアントに対する忠実義務はあるが、公衆の安全と健康や福利の増進の為には守秘義務でさえ負わなくてよいということなのである。全てに公衆に対する責任が優先されるということである。したがって、技術者倫理の充実、徹底は、経営に大きな影響を及ぼすことは間違いなく、技術者の倫理教育が加速されている現状に経営者は敏感でなくてはならないと考えられる。技術者倫理をしっかり身に付けた技術者は、会社に対してよりも公衆に対して責任ある行動を取り、優秀な技術者ほど、会社から自立した行動をとる可能性が高い。このような事態に備えなければ今後の経営は成り立たなくなる恐れがあり、優秀な技術者は会社に選択される側から会社を選択する側になるであろう。即ち、非倫理的な会社に技術者はいなくなると言い換えてもよい。
このために今後の経営者は、技術者倫理の求めるものを理解し、経営に積極的に生かしていくことを考えなければならない。このことは実務的には経営の基本からも遠いものではなく、あるべき経営の姿そのものである。技術者の抱える問題を会社も常に共有することになり現場の問題を早いうちに芽を摘み取ることにもなる。また会社の必要とするコミュニケーションの流れをよくすることでもある。経営者にとって技術者が自立できるだけの見識と実力を備えて活躍してくれることは願っても無いことであり、間違ってもそのような技術者から嫌われるような経営は今後の発展は望めない。現場の技術者の倫理力(倫理的な判断をする能力)が高まり、真の顧客満足の為に仕事をする現場技術者をより多く集めることがその企業の倫理力を高め、真の顧客満足経営を実現することになる。私の教えている学生達は非常に素直であり、純粋である。これらの学生が社会に出た時、理想と現実のギャップに戸惑うことがないように、一日も早く産業界が体質転換を実現していることを願って止まない。