進化論は経済にも適用可能か
市場経済万能主義の背景には、ダーウィンの進化論がある。今では古典的進化論といわれ生物学では過去の学説の一つとなっていて修正された部分も多くメジャーではない。しかし経済の分野では自由競争のみが正義であるという議論の論拠になっている。「適者生存、弱肉強食」これが自然の法則であり絶対的正義であるといわれている。そして激しい競争が企業に変化をもたらし企業や産業を進化させていくと考えられている。このような過程を通じて環境の変化にも(環境問題や経済のグローバリゼーションなど)正しく企業や産業が対応しうると考えられている。現在建設産業が縮減していくであろう事はほとんどの人が認識し始めている。建設産業はこれによって大きく変化するであろうが、これは二つの事柄を招来する。それは量的縮減即ち多くの企業が市場から退場する事と、産業構造の質的変化である。第一は倒産、吸収合併、リストラなどの現象として現れるし、第二のほうは、PM,CMなどの仕事のやり方の変化として現れてくる。国土交通省の重点施策にあるようにNPOが資産の管理や国民のニーズの吸い上げに使われたりする事等も大きな変化であろう。そしてこうした変化の際に登場するのが再び進化論である可能性が高い。キーワードは「自然淘汰」となるであろう。こういわれると市場から退場させられるほうも、退場を強いるほうも抵抗感がなくなる。
しかし本当にそれでよいのであろうか。企業はそもそも何のために存在するのか。企業はどん
な企業も社会のニーズに対応する為に生まれている。最初から反社会的な存在であろうとする事は多くの場合ないものと考えられる。最初から企業は人間社会のものであり自然界のものではないから進化論を経済の問題に適用する必要などないのである。ダーウィンに責任はないのであるが進化論を経済に持ち込んだのは一部の成功した実業家たちであったという。富の集中の理論武装に使ったのである。そこには最初から人間の幸、不幸に対する配慮や社会全体の福利の増進という考えはないのである。例え人間が自然の一部としても動植物の世界のルールが正しいものとして採用されるべき必然性はない。むしろ我々は動植物の掟を参考にしつつ人間らしいルールを見つけ出す必要があるのではないであろうか。それが創造主から知恵を授けられた人間の取るべき道であろう。
「弱肉強食」「自然淘汰」などというキーワードの替わりに「共存共栄」とか「適材適所」とかの道を探る方法もあると思うが。ある建設業界の方から久しぶりに「棲み分け」論を聞いた。大手と中小の「棲み分け」論である。自然界のルールを採用する必要はないと書いたが、自然界では完全な「弱肉強食」ではなく「棲み分け」が成立している場合もある。小さな水溜りに大魚は住めないし、温度差や高度差をうまく「棲み分け」に利用している場合もある。ただし自然界の動植物はこれらの「棲み分け」を自ら選択しているのである。この場合これらの棲み分けを選択した動植物は実に様々な生き方をしており人間で言うと異なった価値観で生きているのである。文化が違うとも言える。結論を言うと、他力本願で「棲み分け」をするのでなく主体的に「棲み分け」を選択しその中で適者生存を実現しているのである。幸い日本は自由の度合いが最も高い国の一つである.価値観の多様化も進んでいる。小さな市場はいくらでもある。建設産業は文化の産業であり、土地土地の人々に愛される事で成り立つ産業である。各企業が個性を発揮すれば全国一律同じサービスを提供できなくても生きていけるはずである。むしろその方が消費者にとっても楽しいかもしれない。「共存共栄」〔適材適所〕で頑張って欲しい。
進化論から真価論へ。
|